最近、冨永先生とお会いするときには、1つ2つ質問を持っておくことにしています。
特にこちらから福岡に行くときは「せっかく岡山から来たんだから、質問どうぞ」って来るのが予想できますからね。
今回もやっぱり竈門神社でそんな場面がありました。
そこで私の質問がこちら。
「私も錬士6段を頂いて、先生と呼ばれるようになってきましたけれど、そういう時期にどんなことに気を付けたらいいですか?」
色んな先生方が色んなお答えをくださいました。
「自分のほうが段位が上でも、相手のほうが上手な部分もあるから、謙虚な気持ちを忘れずに」
「私たちの若いころは先生のことしか見てなかった。『先生、のど乾いてないかな、お茶をお出ししようかな』とか、『いま先生ちょっと外を見られたな、気になるものがあったのかな』と。今はそういう時代じゃないけれど、周りが何を考えているかを考えてほしい」
「道場ではキリッとしてても外でだらしなかったら何を稽古しに来ているのか分からない。普段から道場で学んだことを生かして」
あとはやはり「稽古」という声が多かったです。
「稽古しかない。へたくそな先生に業を習いたいと思う人はいない」
「稽古ですね。仕事とかで稽古時間が取れない時もあるかもしれないけれど、自分で稽古時間を作るんだという気持ちで時間を取ってほしい」
福田先生は竈門では「わからん…」というお返事でしたけれど、日曜の稽古の後にちゃんとお答えを頂けました。
「教える側こそ、稽古しないといけない」
「段位に甘えて稽古もしないでふんぞり返っていてはいけない。まして稽古してない人が審判や審査員をやるなどもってのほか。稽古しているからこそ業がみえる」
「教えることがまた稽古になる」
ひょっとしたら覚え違いもあるかもしれないけれど、先生方のお答えはこんな内容でした。
余談ですが、岡山の某先生は
「自分1人で上達したわけじゃなくて色んなところの色んな先生からの教えで上達してきたんだから、講習会とか大会はできるだけ参加して、『教えていただいた業で岡山も頑張っています』とアピールしに行かないといけないと思ってる」
とよく仰っています。
さて、皆さんの心に届いた言葉があったかどうか。