京都の演武大会に参加してみていくつか感じたことがあります。
まず、やっぱり錬士より教士、教士より範士は凄いってこと。
そうなるためには、日々の稽古が大事なんだろうなってこと。
そして、みんながみんな武道の高みに到達できるわけではないんだろうなってこと。
それでも、杖道や居合道や剣道は人生を楽しくしてくれるものだろうってこと。
さて、私はどこまで行けるんでしょうね。
京都の演武大会に参加してみていくつか感じたことがあります。
まず、やっぱり錬士より教士、教士より範士は凄いってこと。
そうなるためには、日々の稽古が大事なんだろうなってこと。
そして、みんながみんな武道の高みに到達できるわけではないんだろうなってこと。
それでも、杖道や居合道や剣道は人生を楽しくしてくれるものだろうってこと。
さて、私はどこまで行けるんでしょうね。
このblogにいつも来る人ならきっと演武のYouTubeも見ていると思いますけれど、今回の私の演武では飾って、つまりは蹲踞礼でやりました。
ご覧になっていた冨永先生からは好意的な評価を頂きまして、「本当なら飾ってしたほうがいいよね」とそんなご意見。
とはいえ、運営側からすると「できればやめてくれ」って話でもあるんでしょうね。
1組なら飾るのに1分くらい余分に時間がかかるとして、杖道の部の演武が全部で15,6組くらいあって、みんなが蹲踞礼で演武すると全体では15分とか20分とか時間が延長されますからね。
ただでさえ居合道の部で人が多くて時間がかかるのに、さらに時間を取られるようになったら「杖道の人はお願いですから立礼でやってください」って言われそう。
今回は初出場だし、1番手だし、やらせてもらっちゃおうということで蹲踞礼でやりましたけれど、次回はどうするかなあ。
今日のなぎなたの稽古で先生から
「京都の演武大会での収穫はなんでした?」
って聞かれました。
収穫。
ふと考えてその時は「見てみたかった流派の演武が生で見られたこと」と答えたんですけれど、今改めて考えるとちょっと違う気がします。
「大舞台できちんと演武できたこと、そのためには事前の十分な稽古が必要だとわかったこと」、たぶんこれですね。
他の先生方の演武を見てどうこうというのもあるんでしょうけれど、私の今回の京都大会での収穫はこれ。
さて、来年は何をつかむことができるんでしょうね。
何を書こうかと思いながらまとまらないので、写真と共に振り返ってみます。
後輩君は自らのお腹について、
「お金と時間をかけて育ててますから!!」
って言うんですけれど、さすがにそろそろ絞ってほしいなあ…。
いくら刀を振る際のカウンターウェイトだからと言っても、膝とか腰とかに負担かかるしさあ。
元気に長く武道を続けてほしいからね。
今日、京都の武徳殿で演武をしてきました。
五月晴れの晴天に加えて暑くもなく寒くもなく、素晴らしいお天気で、素晴らしい大会1日目でした。
今日は疲れたので細かいことは明日以降にします。
これは武徳殿前で記念撮影をしていたらちょうどやってきた和歌山の皆さん。
演武の後は「まあまあよかったね、終わってみたらすっとしたね」と相方と言い合っていたのですが、家に帰ってYouTubeのライブ配信を見返してみると、うーん。
気になるところがいっぱいあって、稽古が足らんな…。