2021年7月23日金曜日

かんせい

 慣性の法則、というものがありますね。

皆さん中学校の理科の授業で習ったと思います。
止まってるものは外から力を加えないと動かない、動いているものは外から力を加えないと止まらない、って言うやつです。

これって物理現象でなくても人間の行動にも似たようなことがあると思うんですよ。

毎日していることは何も考えなくても毎日できるけど、普段してないことをやろうとしたらなにかしらのきっかけや外圧が必要、みたいな感じのことってあると思いませんか。私は思います。

なんで突然こんなことを言い出したかというと、2か月近くにわたる自粛という名の活動禁止の結果、体が「稽古しない日常」に順応してしまって、普段の稽古に行くことさえおっくうに感じられるようになってしまった、そういう話です。

もっと言えば、マスク必須の稽古は不快であり稽古の楽しさも損なわれてしまい、「稽古に行かないことに順応してしまった体」と「楽しさが減った稽古」とのダブルパンチで稽古に向かうのに大きなエネルギーが必要になってしまった、そういう風に感じています。

これを元のような状態に持っていくために、いったいいつまでかかるのか。ついため息が出てしまいますね。

2021年7月10日土曜日

みなおし

 気が付けばこのblogも10年目なんですけれど、最近は正直なところいつまで続けようか悩んでいるところがあります。

ネタが切れて困る、という面もなくはないんですけれど、それ以上にネットを取り巻く環境が悪化して、ネットで情報を出していくメリットが薄れてきているような気がするのです。

どういうことかというと、「ネットの通信量の4割以上が広告」だとか、「検索上位に上がるのが中身のないキュレーション(まとめ)サイトばかり」だとか、テレビが陥ったのと同じような状態になってしまっているからです。

テレビもネットより先にCMと通販番組、あるいはひな壇に芸人を並べただけの番組ばっかりになっちゃって、まともに見られるのは天気予報くらい、みたいな感じになっちゃってましたけど、ネットもまた同じ道をたどっています。


インターネットによって情報はパブリックなものになり誰もが等しくあらゆる情報にアクセスできるようになる、ネットに存在しない情報は世の中に存在しないのと同じ、そういう世の中が来るかと思われた時代もありました。

しかし、今になってみるとネットにあるのはどうでもいいような情報、嘘か真か分からない情報、そんなものばかりになって、価値ある情報は信頼できる人の間でだけ共有される、そういう状態に回帰しつつあるのではないかと思うのです。

武道においても同様で、結局のところネットであれこれアピールすることよりも、地道に地元に根差して活動を続けることのほうが確実に弟子を集められて存続していくのではないか、という気がします。

オフィシャルとして情報を発信することは必要不可欠ではあるんですけれど、言ってしまえばそれは道場に看板を掲げる程度の話であって、知ってる人はそこにそれが存在することを知っているし、本当にやりたい人は看板がなくてもひょいと通りがかりに覗きに来るものなんですよね。


とまあなんだか賢いことを並べ立てましたけど、私自身がさんざんに胡乱な情報を垂れ流してきたわけでして、半分懺悔しながら書いています。こんなblog書いているから「杖道って胡散臭くね?」みたいな感じで離れていってしまった人がいるのではないかと。

実際問題、「このblogを見て道場に来ました!」なんて人はいませんでしたからね。…実はいたりするの?

2021年7月3日土曜日

よかろう

 「それでいいよ」

これって怖い言葉だな、と思うようになりました。


「(教えた通りにできているから)それでいいよ」

「(まだまだだけど続けて稽古すれば良くなるだろうから)それでいいよ」

「(教えたところで聞く耳持たないだろうから)それでいいよ」

「(私もよくわからないけどとりあえず)それでいいよ」


さあ、あなたの/私の言われた「それでいいよ」はどれだ!?