「人生の残り時間をどう使うか」
考えたこと、あります?
もちろん杖道のお話ですよ。
ある人は「自分の人生の残り時間を考えると、人の稽古より自分の稽古のために使いたい。」と言いました。
私は「元気でいるうちに、自分が習ったことはできるだけ周りに伝えたい。」とうっすら思っています。
どちらが間違いということはないでしょうけれど、杖道の先々を考えると、やっぱりできることはしておきたいと思います。
「人生の残り時間をどう使うか」
考えたこと、あります?
もちろん杖道のお話ですよ。
ある人は「自分の人生の残り時間を考えると、人の稽古より自分の稽古のために使いたい。」と言いました。
私は「元気でいるうちに、自分が習ったことはできるだけ周りに伝えたい。」とうっすら思っています。
どちらが間違いということはないでしょうけれど、杖道の先々を考えると、やっぱりできることはしておきたいと思います。
杖道では、基本的に用語は全国共通ということになっています。
「ということになっています」、つまりは細かいところで色々ローカルな言い方があるということでもあります。
私がこのblogでよく言うのは「ウチバリ」「逆バリ」ですよね。全国共通語で言えば「(太刀を打つ)引落打」「(太刀を打つ)逆手打」ですけれど、太刀を打つ/打たない、の部分がはっきり伝わるようにこういう言い方をします。我々が「引落打」と言ったらそれは基本的に太刀ではなく人間を打つ方を指すわけですね。
ちなみにこれは神戸の杖道からもらった用語。岡山の杖道は神戸の杖道のお世話になった時期が長かったですからね。
別のところでは「逆バリ」ではなく「外バリ」という言い方をするという話も聞いたことがあります。
あとは11本目、12本目の途中で出てくる逆手引落の構えからの逆手打。我々は「抑止打ち」という言い方をしますが、よそではさらにひっくり返して太刀を打ち落とすところまで含んで「風車」という言い方をするんだそうです。
ある時、岡山の人が講習会で先生への質問で「抑止打ちが云々」と言った人がいて、「岡山ではそういう言い方をするんでっか~」とユニークな回答をくださったことがありました。普段外に出ることが少ない方はそういうやらかし(と言うまでもない出来事)をすることがありますね。
そして12本目のラスト。九州の方では「かぎあげ」「かきあげ」というそうで、なんだかちょっと美味しそうな感じもありますが、私は神戸流で「カギバリ」という言い方をします。鉤カッコのような動きで太刀を張り飛ばすから「鉤張り」なんだと先生は仰いました。
そんなこんなでローカル用語は結構あるわけですが、皆さんのところでのローカル用語は何ですか? (ローカルな用語だと気づいていないこともありそう)
新人募集の役には立たぬと諦めた
そう書いた翌日に「blogの人ですよね、あれ見て入会決めました!」とかおっしゃる新人さんが入会されまして、「世の中、ホントにわからんな」と思いました。
ただ、よく考えたらどのblogか確かめてなかったので、実はウチではなかった可能性も0ではない。そんなことはなかろうと信じていますけれど。
諦めましたよ どう諦めた 諦めきれぬと諦めた
という都々逸があります。
都々逸はともかくとして、私も諦めましたよ。
どう諦めた?
このblogで新しい人を集めることを諦めました。
このblogは、杖道やってる人が岡山のおっさんのおちゃらけた話題でクスリと笑うためのblogです。
分かってた、分かってたんですよ、「杖道」で検索して飛んでくるような人の99%は既に杖道やってる人だって…!!
でも、やっぱり悲しいじゃないですか、先生の「新聞への投稿」っていうあまりにも古いやり方で続けざまに2人も新人さんがやってきて、なのに10年も続いたこのblogを見て杖道を始めましたって人がいないのは。
そういうわけで、誰かがこのblogを見てほんのひととき楽しんでくれたら、それで私は満足です。
今日は岡山県の杖道審査会でした。
さいわい皆さん合格されまして、おめでとうございます。
審査委員長もおっしゃってましたけど、「受かって終わりじゃなくて、またここから新しい目標に向けて日々の努力を重ねてください」というわけで、「新しい目標」が1つ上の段位だったり、日々の健康のために毎回の稽古に参加することだったり、色々あると思いますけれど、またこれからも杖道に励んで頂きたいと思います。
ただ、今回筆記のほうがギリギリだった人が複数いらっしゃいましてですね。
まあそれでも実技のほうが抜群なら何の文句もないんですけれど、やはり実技の方でもちょっと注文がついた状況でしたので、次はそうならないように張り切って頂きたいところ。
あとは会長の「毎回いうけれど、所作をしっかりしましょう。それがちゃんと出来てるだけで『おっ、ちゃんと稽古してるな』ってわかりますから」ということで、うちの道場でもちゃんとやってかなきゃなと思います。
思うだけでなかなかそこまで気が回らないのは、道場を預かる私の責任ですね。気を付けます。
先日、某公営武道館で稽古していたときに、横で高校の薙刀部が一緒に稽古してました。
私は「そのうちこの薙刀部の中から杖道始めようって人が出ないかな」と思っていたんですけれど、一緒に稽古していた某氏は別のことを思っていたようです。
「最近の子って、男の子も女の子もみんな小顔で足長ですよねえ」
…全くですな!
私は全く逆の体型ですからね。羨ましい。
ただ、小顔になったために親知らずが問題になりがちとか、足が長いために着物や袴がイマイチ似合わないとかあるらしいですけど、そうは言っても昔から足が長いのは美点とされていたわけですからね。
ただ、その後の
「天童よしみみたいな子って今は見ませんからねえ」
というセリフには、「天童よしみは素晴らしい歌唱力の歌手ですよね!」とだけコメントしておきます。
何年か前から「木刀を作る職人/工場/材料がない」と言われていて、実際私も危機感があります。
そんなわけで、リサイクルショップをめぐって使えそうなものを探してみたり、杖を引退された先輩のお下がりや鬼籍に入られた先生の形見分けで予備の木刀・杖を集めているのです。
ただ、最近東京のグループが「今のウチに白樫の木刀と杖をいっぱい買っておこう」みたいなことを言っていたという話を聞いて、ちょっとイラっとしました。
そりゃあ都会だと必要量も多いでしょうから切羽詰まる感じも地方の我々とは違うんでしょうけれど、たくさん必要な都会がたくさん買い集めてしまうとなおのこと在庫がピンチになってしまうわけですからね。
そんななかチマチマと中古の木刀や杖を集めている自分がちょっと馬鹿馬鹿しく思えます。
都会は都会でもうちょっとなんか考えてほしいなあと思う、地方民のささやかな悩みでした。
私が山でも持ってれば白樫でもなんでも植えておくんですけれど。
誰か、山持ってない?
というか、東京とか都会は人が多いんだから「田舎の親父が山持ってる」とか言う人はいそうな気がするし、そういう人がいたら将来のために白樫を植えておいてください。よろしく!
先日の冨永先生をお招きしての講習会で、我が道場の後輩たちの稽古を見て
「スジが良いね」
「いい味が出てきてますね」
というコメントを頂きました。
皆さん一生懸命稽古に出てきて、特に最近古流に取り組んできた結果が、こういうご意見に現れているのかなと有難く思います。
余談ですが、冨永先生の私に対する第一印象は
「『また生意気そうな若いのがいるな』と思った」
だそうです。
まあ、今振り返れば自分でもそうだったろうなと思います。
昨日今日と、福岡から冨永先生をお招きしての講習会でした。
毎度毎度未熟だなと思うのは、「自分のところの後輩相手だとまあまあきれいに決まる業が、冨永先生相手だとイマイチ決まらない」みたいなところですね。
相手が変わると業の出来も変わる、なんてことじゃお話にならないなと思います。
ところで、先日竈門神社に行ったときのことを聞かれて、
先生「夢想権之助先生になんて言われた?」
私「『未熟者』って言われた気がします」
先生「先生はそんなこと言わないんじゃないかな。『よく来たね』って言われたんじゃない」
てなお話で、つまり「もっと稽古してまたおいで」と言われたんだろうと思っています。
多分。
西日本が梅雨入りして、ジトジトしてまいりました。
道場でも太刀も杖もじっとりして、なんだか嫌な気分です。
そういうのもあってまた太刀と杖をお掃除しました。固めに絞った濡れ布巾でフキフキ。
冬の間はそんなに汚れも溜まっておるまいと思っていましたけれど、案外汚れていましたね。
汚れていたということはそれだけお稽古していたということでもあり、しんどいだるい稽古辛いと言いながらまあまあちゃんとやってるなと思いました。自画自賛ですけれど。
ついでに太刀も杖もきれいになって、雨の日でもいい気分で稽古できそうです。
「雨の日に稽古に行く」って言うのがそもそもしんどいわけですが。