2025年5月27日火曜日

ろぼっと

 前回、AIが賢くなって人間がアホになるのではという話をしましたけど、人間がアホになるかはともかく今後さらにAIが賢くなっていくのは間違いない話でしょうね。

それが進めば「機械が人間の仕事を奪う」ということになるんでしょうけれど、見方を変えれば「機械が働き人間は別のことに夢中になれる」ということでもあるんでしょう。

生成AIが良い感じのイラストを描けるようになりだして、逆に「上手な絵の描き方」的な本が売れ出した、なんて話もあるようですから、やっぱり人間はなにか頭と体を動かしていないといけない生き物なんでしょうね。

私だって無職だった頃、旅と料理と杖の稽古に一生懸命だったわけですから。寝るのも大好きでしたけど。

そうすると、機械とAIとが人の仕事を負うようになると、武道をやり始める人が増えたりするのかもしれませんね。ぜひそうあってほしい。


ただ1つ、そういう世の中でだれがどうやって生活費を稼いでくれるんだろうということだけが気がかりなんですが…。

2025年5月23日金曜日

えーあい

 最近は「AI」、人工知能というものが大変に流行っているようですね。

昔、情報知能を少し勉強した身からするとあれは「機械学習」と呼ばれる分野の成果の1つであって、果たしてそれを"Artificail Intelligence"と呼ぶことが妥当なのか、そこらへんに多少の疑問もなくはないんですよね。「学習こそ知能の基礎基本」と言われたらそうなのかもしれない。


さて、そのAIサービスに色々尋ねてみるとまあまあいい感じの答えが返ってくるわけなんですが、あれってざっくり言うと「インターネットを検索してまとめて答えを導いている」というお話で、逆に「ネットに答えの無い質問にはろくに返せない」という面もあるわけです。

ところが世の中困ったことに「AIがない、知らない、って言ってるんだからそんなものはないのだ」と勘違いしちゃう人がいらっしゃるわけですよ。

これはネットは世にはびこり始めた時から感じていたことですが、「ネットに無い=世の中に無いのと一緒」という風潮がさらに強化されたように感じます。


そしてまた、ネットにほとんど出てこないような古武道・古武術流派っていうのもあったりするわけで、そんな流派やそれらに関する話題は「そんな流派は存在しない」「そんな話はウソか捏造だ」みたいな話が出てくるんじゃないかな、という気がします。

だからと言ってわざわざネットに出ていく理由もないわけですが。いらんトラブルを招くだけということもあるでしょうし。


あるものを機械が言うからないといい、本当を機械が言うから嘘という。

機械が賢くなった分だけ人間がアホになった、そんな話なんでしょうかね。

2025年5月18日日曜日

たちばな

 


我が家の庭のタチバナの花。

手がかかるからとずっと庭の植木を減らしてきたものの、さすがに庭がちょっと寂しくなったかなと思ってタチバナを植えたのが一昨年。まだたくさん実がなるということはありませんが、少しずつ花を咲かせてくれています。

左近の桜、右近の橘、というように、おめでたい樹でもあります。

桜が毎年散ってはまた花開く再生の象徴、橘は常緑で冬も茂り栄える不滅の象徴、ということのようですね。タチバナの実は「ときじくのかぐのこのみ」、不老不死の霊薬であるという神話のお話もあるそうです。

ちなみに先日演武した武徳殿そばの平安神宮にもタチバナは植えられているんですよ。知ってましたか?


日本の柑橘類の原種としてのタチバナ、言うまでもなくシトラス系の香りがします。

万葉集にも、

五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする

という歌があるようで、さらにこの歌は伊勢物語にも登場するんだとか。「昔の恋を思い出させる」という、なんとも罪深い香りと位置付けられているそう。

この歌、「袖の香」ということはきっと後朝を交わす間柄つまりは男女の関係だよなあとか、現代基準だとセンシティブ扱いされそうだなと思ったりもします。男と女の恋物語なんだから当然だろうと当時の人なら言うのかな。

現代の我々ならなんと詠むのでしょう。さて。


橘の花の香りに誘われて夢に見るよな恋してみたい


うーん、高校生か!!40過ぎのおっさんが詠むような歌ではなかったですね。坪井先生が聞いたら笑いそうな気がします(坪井先生はただの質問おじさんではなく詩吟の家元でもありさらに俳句会を主催するほどの文化人です、念のため)。



こちらはユスラウメ。ちょっとずつ実が赤くなり始めました。

真っ赤になったら収穫して、煮詰めてジャムにするのが例年の行事。いつものことを、いつもどおりする。この辺は武道も一緒かな。

やっぱり実がなる植木、世話に手がかからない植木はいいですね、楽だし世話をする気がわくしblogのネタにもなる。

2025年5月14日水曜日

おていれ

 いつぞや出した、私の木刀コレクションの一部の写真。


「白こそ至高」という最近の風潮に反して、どれもそれなりに年季が入って見えますけど、特に左から2番目のやつね。

どう見ても木そのものの色でもないし、ずっと「なんでこんな色なんだろう…?」と思ってました。


そしたら最近やっと答えというか仮説が得られました。

昔は木刀の保存のために柿渋を塗っていたんだそうですね。

聞いた話では「手ぬぐいとかでキレイにして、柿渋塗って乾かして、椿油を塗っておしまい」なんだそうです。

なるほど、柿渋を塗って年季が入ればこんな色になりそうな気がします。


最近の剣道連盟は「白いのが良いのだ!」っていう雰囲気が強くて、杖道委員の先生も「ジフで磨いてる」と仰ってて、確かに真っ白なんですけれど、私はそこまで白にこだわらんでもいいんじゃないかなと思っています。

定期的に掃除をして、椿油を塗る。

椿油はほぼ透明ですけれど、油を塗ったら白じゃなくてちょっと濡れたような少し茶色っぽい色になります。

昔の先生はしっかり油が染みてから稽古に使ったと言いますからね。

それでいいんじゃないのかなあ。「真っ白」にこだわらなくてもさ。

ただし、私が7段審査に落っこちてその理由が「杖が汚いから」って言われたら手の平を返すことになるでしょう。きっと。

2025年5月8日木曜日

きょうと オマケ

 京都大会こと第121回全日本剣道演武大会のネタも今日のオマケでおしまい。

オマケその1。


はい、というわけで、帰りに京都駅で買った宝くじは見事に外れました。
演武もいまいちだったし、さもありなん。

去年よりは落ち着いて演武できましたけども、逆に去年ほどの緊張感はなかったし、塩梅が難しいですね。
上席の皆さんが「おお、これは」と思うような演武が出来たらきっと大当たりする、そんな気がします。
…そんな演武が出来るまでに何年かかるやら。


その2。


この写真の、○したところをよく見ると…。

博錬会のおねいさんでした。

彼女が私の画角に入るとき、私もまた彼女の画角に入っている…。
多分見たらすぐわかりますよ。

以上、令和7年の京都大会でした。

2025年5月7日水曜日

きょうと 3

 演武を済ませ、見学も終えて、会場を離れるその時に、受付のお兄さんのぼやきが聞こえてきました。


「見てみ、この急なキャンセルの数」

「昨日の8段審査で落ちてやる気なくして帰ったんやろなあ」

「だってこの人ら、昨日オレ見たもん! 受付したもん!」

「こんなん20年受付してきて初めてやわ。やっぱ演武の前に審査したらあかんて」


ですって。


こういう話だけ聞くと、「そんなんだから審査に落ちるんじゃないの…?」と思っちゃったりもします。

腕前はもちろんですけれど、やっぱり7段、8段ともなれば剣連の行事を盛り立てるのも仕事のひとつだと思うんですよ。

落ちたら落ちたで「なんでこれで落ちるんじゃい!」という気合で演武を披露していただきたいですよね。


とはいえ、まずは8段審査を受けられるところまで行くのが先ですけども。

2025年5月4日日曜日

きょうと 2

 演武を終えた後、冨永先生がお言葉をくださいました。


「打太刀が良かったから思いっきり杖が遣えたでしょう」


打太刀が良かった。つまり、仕杖の私はもっと稽古せいよと、そういうことなんだろうなあ。

自分でもそう思います。反省。


ちなみに今日はなぎなたの合同稽古でした。
基本稽古でしこたますねを打たれて赤くなって腫れています。やはり試合競技は体に悪いな。ぼくは形稽古がすきです。

なお、私と一緒に2日に京都で演武したなぎなたの先生は、昨日(3日)から稽古に参加していたそうです。タフすぎ!

2025年5月3日土曜日

きょうと

 写真でたどる昨日の思い出。


バスを降りてすぐのコンビニでたまたま行き会った黒郷先生、何かのご縁と思って写真も少し多め。




鎖鎌を遣う黒郷先生は珍しい、というかご本人も「ずいぶん久しぶりに合わせた」とか言われてましたっけ。


各種形の部から、関係者の写真。














最後の2枚は後ろ姿ですけど最近Youtubeで有名な関先生。写真だと分かりにくいですけど、近くで見ると「大仏様が歩いているよう」と人が言うほどの存在感があります。



鳥取藩伝来の名流、雖井蛙流(せいありゅう)平法。剣道の達人が遣う剣術は見事の一言。


薙刀の部。



こんな細腕で重たい樫の薙刀をひらひらと振り回すんですから、「腕力じゃなくて体幹で遣う」というのが良く分かります。私はまだまだそこまで至りません。



この2枚は男性が薙刀を遣ってます。男性が薙刀をやったっていいんですよ。

薙刀の写真を撮っていたら「そんなところで何してるんですか! みんな待ってるんですから早く集合場所に来てください!!」とせっつかれる羽目に。

大丈夫だよ、いくら杖道の部の最初の組だからと言っても、薙刀が終了してからまだ杖道の模範演武があるし時間は十分あるんだって。

でも周りの皆さん、スタッフの皆さん、心配させてごめんなさい。


杖道の部。自分の演武が終わって先に着替えていたら、あらかた終わってあんまり写真がない。




高砂の石原先生、「まだまだ元気でいてもらわないと困る」らしいので、また来年もぜひご参加ください。

杖道の部では一番びっくりした、光廣先生のご出場。



古い杖をよくご存じの光廣先生、お元気でいてくださいね。

杖道の部のシメ、冨永先生と福田先生。



流石先生、流石範士、としか言えない演武。


最後に居合道から、関係者を中心に。




今日が初の京都武徳殿らしい彼、兵庫に住んでて「マジで?」って聞きたくなる話。


パパさん、あまり写真撮れなかったけど、各種形の部もあるから勘弁してください。



毎年京都大会で運営に奔走されているブライヤー先生。いつも本当にお疲れ様です。



遠くて写真が撮りづらい!!



立派なおひげのウーデルホーヴェン先生。ご縁はないけどおひげがあまりに立派過ぎてつい写真を撮りました。
「僕も80歳になったら冨永先生を見習っておひげ生やしてみようかな」という方もいらっしゃいますが、こんな見事なおひげは難しいですね。


盆子原先生。岡山でやった全日本杖道大会の決勝戦をまだ覚えていますよ。あれももうだいぶ昔の話になってしまいましたけど。

「お前、杖の相方の演武を見ずに帰るとか、薄情者と言われてもしゃあないぞ」と言われたからというわけでもないんですが、杖の相方の演武写真。






杖の方では6段審査に苦労されてましたけど、改めて考えれば居合道教士7段、杖道錬士6段、弓道5段、古流剣術、古流長刀術まで遣うとんでもない人です。

そして、前日に居合道8段審査を突破された宮脇先生。


審査を見学した人は「この人が通らなかったら誰が通るんだと思った」と言い、黒郷先生も「昨日、宮脇先生が居合の8段通ったんだよ。やっぱり熱心だからね」と嬉しそうに語ったお方ですから、教士が並んで業を遣っていても一際目立っていましたね。


以上、京都大会の写真あれこれでした。

ところで、演武中の写真をプロのカメラマンが撮って販売してくれるんですけれど、今年の私の写真はどれもパッとしてない感じで、購入意欲がわかず。それでも2枚は買いましたが。

パッとしてないのは言うまでもなく被写体の私がイマイチな演武をしているからですね。

和歌山の山口先生は「いつ写真を撮られても美しいと思えるような演武をしたいよね」と仰ってましたけど、まさにその通りで、どの部分もきちんときれいに見えないと業とは言えないし稽古の値打ちがないんだろうなと改めて感じた次第。

来年はいい写真を撮ってもらえるように稽古しましょう。