園部秀雄先生「家のことをきちんとやって、朝夕1000回素振りをすれば、誰でも私と同じくらい上手になれる」
乙藤市蔵先生「あなたは忙しいからって便所にもいかないの?(忙しくてもわずかな時間を見つけて稽古に励みなさい、の意)」
冨永先生「バスや電車で座ってるときに暇だから杖のことを考える」
ぼく「言うは易く行うは難し」
でも、いっときにせよ毎日のように素振りに励んでいた時期があればこそ、今の私があるのかもしれない。
園部秀雄先生「家のことをきちんとやって、朝夕1000回素振りをすれば、誰でも私と同じくらい上手になれる」
乙藤市蔵先生「あなたは忙しいからって便所にもいかないの?(忙しくてもわずかな時間を見つけて稽古に励みなさい、の意)」
冨永先生「バスや電車で座ってるときに暇だから杖のことを考える」
ぼく「言うは易く行うは難し」
でも、いっときにせよ毎日のように素振りに励んでいた時期があればこそ、今の私があるのかもしれない。
杖道の型は、2人で1つ。
うまく型が決まらなかったときに自分のせいと思うか相手のせいと思うか、この辺りが上達するしないに関わってくるような気がします。
ただ、そこで自分のどこがよくなかったと気づける人はそうそういないのも事実。
「私はここが出来てません」て思いながら型を遣う人はいませんからね。たまたま失敗しただけならわかるけども。
この辺りは1人でできる居合道とか弓道とかとは違うところですよね。
ある先生はとある講習会で「君たちの演武には"conversation"が足りない」とおっしゃったそうです。
「対話が足りない」とはどういうことか。
業が届いているか、打突の部位は正しいか、攻めたり受けたりするタイミングは正しいか、その他色んなことを理合いと合わせて実践できているかどうか、解説書を読んでただその通り1人で動けていてもそれじゃダメ、そういうことなんでしょうか。
わかるようなわからんような。
今日の稽古はあまりにも寒そうだったので中止にしました。
路面が凍ったら運転なんかしたくありませんからね。
そもそも稽古場の体育館も寒すぎて稽古にならないし、風邪ひいたりしたらむしろ損です。
テレビでも「不要不急の外出はお控えください」って言ってる有様なので、我ながらいい判断だと思います。自画自賛。
寒い時の稽古場って、北海道みたいな滅茶苦茶寒いところのほうが実は暖房とか充実してて本州よりもずっと良いって話が有りますけれど、どうなんでしょう。行ったことないから分からないんですけれど。
少なくとも、気温が氷点下だろうとなんだろうと、我が道場には暖房すらありません。
そりゃ稽古なんかしてる場合ではないですね。安全第一。健康一番。
「鳳(おおとり)がはばたくように」
神道流剣術の三受留において、小太刀が大太刀を摺り飛ばしたときの姿勢を指した、とある先生の言葉です。
「鳳がはばたくように」
何度も言いたくなる、とても美しい表現です。「おおとり」なんて言葉、普段じゃ絶対使いませんからね。
同じく神道流剣術の鷲(じゅ)でも「鷲(わし)が獲物をついばむように」とこれまたかっこいいことをおっしゃった先生もいらっしゃいましたけれど、「鳳が~」には及ばない気がします。
問題は、そのような美しい表現のごとく素晴らしい業前をできるかどうかなんですけれども。
簡単にできないからこそ、稽古、稽古、また稽古。
今日は朝起きた時から今一つ調子が悪く、どうもシャキッとしません。
そんな時にかつてキャプテンハーロックはこう言いました。
「男は時々何をしてもまったく駄目だという時があるのだ。(中略)そういう時男はな、酒でも飲んでひっくり返って寝てればいいんだ。」
ということで、私は更新が済んだら一杯つけてそのまま寝ます。
おやすみ!
…というのではあんまりだし、そもそも調子の悪い時に酒なんか飲んでる場合かという話ですよね。
せっかくだからお酒に絡んで少し昔話をしますけれど、私は無職の時代、朝寝朝風呂はさんざん楽しみましたけれど、朝酒は全然しませんでした。日の高いうちから飲んだことはほぼないです。
というのも、前職時代の早期退職した上司が日中やることがないからと早いうちからお酒を飲んでいたそうで、結果2年もせずにいわゆるアル中状態になってしまったのだとか。
杖道をやっている人の中には労働をリタイアした人もたくさんいらっしゃいますけれど、日中やることがあるというのはなかなか有難いことだと、そう思いますね。
逆に言えば、「もう十分生きたからいいや」という人は昼日中から飲んでたらお迎えが早めに来るかも。オススメはしませんが。
上の写真だと左側が裏、右側が表ですね。
私は杖道を始めてすぐ、
「腰に差したときに正面から見えるほう=柄側にきれいなほうが出るように、刃側に汚いほうが向くように嵌める。真剣でも同じ、表が柄側」
と習ったんですが、たまに逆に嵌めてる木刀をみることがあります。
たまたま間違っちゃったのか、あるいはちゃんと習ってないのか、はたまた私が間違っているのか、今更不安になりました。
きょう居合7段&杖道7段の先生に確認したら、やっぱり「きれいなほうが柄側やで」とのことで一安心だったんですけれど、話を横で聞いていた後輩が一言。
「あーなんかねえ、亡くなった先生が前に『剣道は逆やねん』って言ってはりましたよ」
…そうなの?
剣道のことは全然知りませんけれど、逆だというならなんでそうなったのか理由を知りたい。
「竹刀や木刀も真剣と思って使え!」っていう剣道の先生多いですけど、そこんとこどーなの?
前にも書きましたけれど、
「夏には夏の稽古があり、冬には冬の稽古がある」
ということで、しっかり体を動かす稽古をするようにしています。
具体的には
「いつもより1cm攻め込む」
「いつもより5mm制する」
と後輩の皆さんに声をかけているんですけれど、成果が出ているかどうかはともかく、これまでよりしっかり気合が出てきているようで、いい傾向だなと思っているところです。
さて、そんな稽古を通じて私のお腹周りもあと1cm、いや5mm、引っ込んでくれないかなあと思っているのですが、こちらはなかなか厳しい模様。
本日のお題は名槍。
天下三槍と呼ばれる3つの槍があるそうで、御手杵(おてぎね)、蜻蛉切(とんぼきり)、日本号の3本です。
御手杵は太平洋戦争で焼失し、日本号は福岡市博物館に展示されていますが、蜻蛉切は個人蔵でめったに見られません。
その蜻蛉切がこの1月7日から2月12日まで、静岡県三島市の佐野美術館で展示されているとのことで、刀剣がお好きな方、近くにお住まいの方は是非ご覧になってみてください。
ちなみに私は10年位前に同じ佐野美術館での展示を見に行ったことがありますが、言い換えればほぼ10年ぶりの展示でもあるわけで、めったにない機会でもありますから気になる方はお忘れなく。
時間があればまた私も行こうかなあ。ただ三島市は遠い…。
余談ですが、名刀、名槍には様々なエピソードがつきもので、蜻蛉切は「穂に停まったトンボが真っ二つになるほどの切れ味であった、ゆえに蜻蛉切」という逸話があります。
日本号は言うまでもなく「酒は呑め吞め呑むならば」の黒田節、通称「呑み取りの槍」ですね。