最近ちょこっと「村上三島」という書家について触れる機会がありました。
故人ですが、故郷に博物館がたつほどに著名な方だったそうです。
書の世界のことはてんで知りませんのであれこれは書きませんけれど、目に留まった言葉がありました。
「模倣と技術ばかりに傾倒するのはよくない」
「書家はとかく美術性にばかり気を取られて、またやたらに変体仮名を使いたがる」
「小学生にも読める字でなくては書と言うものが浮世離れしてしまう」
おおよそそんなことを語ってらっしゃったようです。
勲章を授けられるほどに書の世界の高みに立った方が「小学生にも読めるように」と言うのは、実に含蓄があるというか反省を促されるような思いがします。
つい「上達とはより優れた技を身に付けることだ」と思って色んなテクニックを習得することに躍起になりがちですからね。
「初心忘るべからず」と言いますけれど、やはり「小学生にもわかるように」がすなわち初心ということになるんでしょうか。
また村上氏は
「墨の黒いところと紙の白いところがバランスよく決まると『よくできた』という気がします」
とおっしゃっていたそうです。
さて翻ってワタクシの杖道はというと、打突や構えについては日々気を付けて稽古していましたけれど、言われてみると自分の周囲の空間的な部分は意識したことがなかったかもしれません。
自分自身の良し悪し、あるいは相手の良し悪し、それだけじゃなくてそれら以外の部分の良し悪しもあるのだ、とは恐れ入りました。
0 件のコメント:
コメントを投稿