前回の宿題の答えですけれど、なぜ岡山県の南部、特に平野部では温泉がないのか?
火山がどうとか地質学的に厳密な答えは専門家に任せるとして、わかりやすいのは「最近まで海だったから」ということですね。
そりゃ少なくとも埋め立てた分だけは掘らないと、温泉なんて湧いてるわけがないんですよ。
ちょっと地図で見てみましょう。
灰色っぽいところが平野部。緑の部分が丘陵部。
では昔の地図を見てみましょう。
「吉備の穴海(あなうみ)」と言ったそうです。
高梁川、旭川、吉井川から流れてくる堆積物の関係で全体に遠浅の海だったようで、江戸時代以降の干拓で陸地になりました。
いわゆる「水島コンビナート」があるあたりも割と戦後の話ですから、「ワシらが子供んときゃーあの辺は海じゃった」という人もまだいらっしゃいますね。
もうちょっと歴史をさかのぼると、源平合戦に詳しい人は「藤戸の戦い」をご存知でしょう。
「源氏方の佐々木盛綱が、馬で海を渡って平家の陣に攻め込んで蹴散らした。なお馬で渡れる浅瀬を教えた浦人は口封じに盛綱に殺された」というお話。
有名な一之谷の合戦と屋島の戦いの間のお話で、この2つと比べるとマイナーですけれど、「馬で海を渡った」という点で面白いお話です。
「海にまつわる話だからきっと海のそばなんだろうな」と思うでしょ?
実は現在ではかなり内陸部です。上の地図の1番あたり。
戦国時代の地図で言うと、南の大きな島から北のほうへ点々と島が続いているあたり。「こんなところで戦ってたのか」「なるほどこれなら渡れそうだわ」と思います。
2番は、かつて刀工集団「備中青江派」がいた青江地区。青江派は戦国時代には既に衰退していたようですが、「青江」の文字がよく似合う地形です。今だと「青江っていっても海は遠いじゃん」という位置ですけれど。
というわけで、杖にまつわるお話があまりないので、温泉ネタから昔の史実ネタでした。たまには頭がよさそうなところを見せてみる。
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