「気」というものは今のところ科学の外の話であってそんなものはないのだということになっています。
そうは言ってもやはり「気圧される」ということはあるもので、特に高段位の方に稽古を付けてもらうときなんかは向き合うと相当「気負い」を感じます。
決して常日頃が「気を抜いている」とかそういうつもりはありませんけれど、やはり上手の人に相手をお願いするときはより「気が張り詰め」ます。
こうして書いてみると、やっぱり身体感覚としてはなんか「気」ってありそうな気がするから不思議。
ところで、私が駆け出しの頃は、何も分からず高段位の方々が型を遣う様子を見て「どこが凄いんだろう。」なんて思っていたものでした。
人間とは面白いもので、力の差がありすぎると差があることもわからないんですね。
いくらか稽古を積んでみて、ようやく「ああ、やっぱり凄いんだ。」と気付かされるわけです。
気付けるようになった分だけ進歩したのかなと思います。
しかしやはり8段とか免許皆伝とかいう方々の腕前、技の冴えを目にするに付け「うむ、わからん。」と首をひねることしきり。9年も稽古してまだこんなものかと言われそうですね。
まあ、週に1度2,3時間型を遣っただけでそんなに伸びるわけがないのですけれど。稽古不足を戒めるところです。
さて、人間は自分の事をつい持ち上げて評価するもので、それを戒めて曰く。
自分の方がちょっとは出来ると思うとき、相手は自分と同じくらいの力量である。
自分と同じくらいだと思うとき、相手は自分よりも出来る。
自分より相手の方が出来ると思うとき、相手は自分より遥か先を行っている。
いつになったら追いつけるかなー。
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