気が付けば私も「先生」なんて言われるような年齢と段位になりまして、そうするとですね、
雨が降ろうが
風が吹こうが
しんどかろうが
だるかろうが
とにもかくにも道場へ出て行って指導をしなければならないわけです。
大変だあ…。
その大変なことを私の先生方もそのまた先生方も続けてこられたわけでして、本当に頭が下がります。
気が付けば私も「先生」なんて言われるような年齢と段位になりまして、そうするとですね、
雨が降ろうが
風が吹こうが
しんどかろうが
だるかろうが
とにもかくにも道場へ出て行って指導をしなければならないわけです。
大変だあ…。
その大変なことを私の先生方もそのまた先生方も続けてこられたわけでして、本当に頭が下がります。
今回の8段審査、1名の合格者がありましたけれど、受けた人の話では
「あの人はそら受かるで。
会場に入るときからスーツとネクタイでビシッと決めてたからな。
オレらこんな普段着やで?
『仕事から直接来たんですか?』って聞いたら『いや、昨日から東京入りしてます』って。
会場入りからして全然気持ちの入り方が違うわ」
だそうで。
高段位の審査を受けるにあたってそういうところまで気を遣うなんて、なかなかできることじゃありません。
だからといってスーツでビシッと決めて会場入りしたらきっと審査に合格するかっていうと、それもまた違うわけですが。
先日の講習会で久しぶりに会ったのに満足にご挨拶もできなかった方がいまして、うちの先生に言わせると
「そういうとこ、直していこうな」
「僕がもう外に出られなくなったから、今度はあなたがそういうことをやっていってくれないと」
だそうです。すみません。
そういう人間なんです、私は。
次の地区講習会は姫路だそうですので、そこではもっとちゃんとご挨拶できるように努力します。ご期待ください。
先日の審査の結果、良かった人もいれば残念だった人もいて、気になってた人も残念なほうに入ってしまいました。
またほかの残念なほうに入った人の中には「お前が落ちたら誰が受かるんや」という人もいて、その話をするとたいていの人がびっくりします。
しかし中には
「やっぱりあの腹の脂肪がアカンのやろか」
「いやーあのお腹には夢と希望が詰まってますから」
という愉快な感想を漏らす人たちもいらっしゃいまして、ぜひ次の姫路の審査では夢と希望を花開かせていい結果を出していただきたいものです。
もうすぐ杖道6~8段昇段審査ですね。あと3日。
私には今年は何もありませんけれど、受審する人のお稽古にはだいぶお付き合いしましたからうまくいってほしいところです。
もうここまで来て今更あれこれやっても仕方ないところですが、審査に臨む準備はしっかりしておきましょう。
杖と太刀はちゃんと準備してありますか?
新品でなくても、ちゃんと拭き掃除しておきましょう。
道着と袴は準備してありますか?
くたびれた道着はいけませんが、かといっておろしたての本藍染め道着で体を真っ青にしながら受けるのもよくないです。
ちゃんと水通しをしてからにしましょうね。
体調はどうですか?
今更「コロナです」「インフルです」となったらあまりに悲しいので、よく食べ、よく寝て、当日万全の調子で出られるようにしましょう。
あとはこれまで培った稽古が審査員に認められるかどうかだけです。皆さん、お気張りやす。
黒郷先生はよく仰います。
「打太刀は、一番いい中段に構える!
次に一番いい八相に構える!
一番いい姿勢でズイズイッ!と仕杖に接近する!
そして一番いい気合で切り込む!」
ちなみにこの前にも「一番いい歩き方で入場し、一番いい礼をし云々」とかありますが、そこは省略します。
何が「一番いい」のかは各自の課題としておくとして、とにもかくにも姿勢をずっと意識しながらの稽古を土日しっかりやると、月曜の今日もなんとなくいつもより姿勢がよくなった気がします。
次の稽古まで持つといいな。
前回の宿題の答えですけれど、なぜ岡山県の南部、特に平野部では温泉がないのか?
火山がどうとか地質学的に厳密な答えは専門家に任せるとして、わかりやすいのは「最近まで海だったから」ということですね。
そりゃ少なくとも埋め立てた分だけは掘らないと、温泉なんて湧いてるわけがないんですよ。
ちょっと地図で見てみましょう。
灰色っぽいところが平野部。緑の部分が丘陵部。
では昔の地図を見てみましょう。
「吉備の穴海(あなうみ)」と言ったそうです。
高梁川、旭川、吉井川から流れてくる堆積物の関係で全体に遠浅の海だったようで、江戸時代以降の干拓で陸地になりました。
いわゆる「水島コンビナート」があるあたりも割と戦後の話ですから、「ワシらが子供んときゃーあの辺は海じゃった」という人もまだいらっしゃいますね。
もうちょっと歴史をさかのぼると、源平合戦に詳しい人は「藤戸の戦い」をご存知でしょう。
「源氏方の佐々木盛綱が、馬で海を渡って平家の陣に攻め込んで蹴散らした。なお馬で渡れる浅瀬を教えた浦人は口封じに盛綱に殺された」というお話。
有名な一之谷の合戦と屋島の戦いの間のお話で、この2つと比べるとマイナーですけれど、「馬で海を渡った」という点で面白いお話です。
「海にまつわる話だからきっと海のそばなんだろうな」と思うでしょ?
実は現在ではかなり内陸部です。上の地図の1番あたり。
戦国時代の地図で言うと、南の大きな島から北のほうへ点々と島が続いているあたり。「こんなところで戦ってたのか」「なるほどこれなら渡れそうだわ」と思います。
2番は、かつて刀工集団「備中青江派」がいた青江地区。青江派は戦国時代には既に衰退していたようですが、「青江」の文字がよく似合う地形です。今だと「青江っていっても海は遠いじゃん」という位置ですけれど。
というわけで、杖にまつわるお話があまりないので、温泉ネタから昔の史実ネタでした。たまには頭がよさそうなところを見せてみる。