2018年6月30日土曜日

サムライ

私はオフサイドさえろくに理解してないサッカー音痴なので、世界が熱狂しているワールドカップもまるで興味がありません。
したがって試合も全然みてないんですけども、ポーランド戦で日本が非常に消極的なプレーをして世界中からブーイングを食らっているそうですね。


ごく個人的な意見を書くと、
・サムライJAPANを名乗って滅私奉公とか高楊枝とか武士道とか高潔なイメージを押し出していた
・「僕たちのプレーで夢と希望を与えたい」「見ている人が感動するようなプレーをしたい」などと言っていた
にも拘わらず、いざ正念場に置かれると勝負せずに遅延戦術で生き残りを図るって、そりゃあ「言ってることとやってることが違うじゃないの」って話にはなるよね、と思います。

そもそもサムライはそんなにきれいなものじゃない、という現実的な意見もあるようですけど、イメージ戦略としてはきれいな部分だけ使っておきながら、後出しで「サムライはもともと卑怯で結構メリケン粉な存在だ」なんて言ったら、そりゃ応援したくなくなってもしょうがないでしょ。


最初っから
「我々は出場チームの中では弱小なので戦術を選んでいる余裕はない」
「ルールの範囲でならどんな汚い戦い方でもする」
「美しく散るより汚く勝ち残ることを最大の目標とする」
「視聴者の感動よりも勝利こそ尊い」
「我々は海賊のように勝ちを取りに行く」
って言ってたなら今ほど悪く言われることもないと思うんですよね。

ま、それを言っちゃうと相手チームも日本チームをダーティな方法で潰しに来ることを正当化しちゃうので必ずしもいい方法ではないけども。
ダーティな方法を容認しちゃうと、せっかく種々のルールでスポーツとして確立させたものがまた乱闘上等の野蛮な集会に逆戻りしちゃうし。


ちなみに、鎌倉武士のなかなかに鬼畜な一面が描かれているのが「男衾三郎絵詞」だそうです。

>特に第2段は鎌倉時代の武士の様子を生き生きと描き、よく図版として使われる。一方で、馬小屋の隅に生首を絶やすな、首を切って懸けろ、屋敷の門外を通る修行者がいたら蟇目鏑矢で追い立て追物者にしてしまえ、といった非人道的な描写があり、これに鎌倉武士の残虐性を指摘する意見もある。


他方で、江戸時代もいくらかすすむと武士もだいぶたるんできたようで、「鸚鵡籠中記」という尾張藩の畳奉行の日記には、公用で京大坂の商人のもとに出向いて先方の費用持ちで遊郭に入りびたったりする様子が描かれているんだそうです。

どっちみちアカンな。

2018年6月26日火曜日

かまえる

先日の講習会で、私が冨永先生に切り込んだものの太刀が届いてなかった、という場面がありました。

あれ、太刀を大八相に構えた時には
「あ、遠いな」
「深く踏み込まないといけないな」
って、ちゃんと気づいていたんですよ。

1歩踏み込んだ時にも
「まだ遠いな」
「次の足でもっと出ないと届かないな」
って、ちらっと思ったんですよ。

でも、実際切り付けたら届いてなかった。届かなかった。

あの時のことを思い起こすことしばし、たぶんあれ、
構えに負けて踏み込めなかったんだな
圧倒されて気合が足りなかったんだな
って気がしてます。

意識のそのもう一つ下の部分で、「この構えには飛び込んでいけない」っていう恐怖があってそれを乗り越えられなかったんじゃないかと思うんですよ。
本当にきちんと構えるとこうも攻めがたいものかと、なんとなーく思われるんです。

構えに負けて踏み込み損ねるなんて稽古が足らんというべきか、
少なくとも構えに恐れを抱けるくらいには遣えるようになってきたというべきか。

構えをおろそかにしてきたつもりはないけれど、構えの稽古をもうちょっと詰めてしてみようかな。

2018年6月25日月曜日

みじゅく

書こうかなと思うことはいくつかあるけども、なんとなくまとまらないので書けないでいる、といううちに日数ばかり過ぎますね。

未熟ということについて。

自分のワザマエが未熟だと認めるのはなかなか難しいものです。
ついね、後輩なんかと比べて自分はできてるつもりになる。

そしてもう一つ。
他人の技をみてああだこうだとつい言ってしまうのは、他者の未熟さや失敗、過ちについて寛容になれない心の弱さであり、言わなくてもいいことを言わずにいられないという我慢の出来ない心の弱さじゃないかな、と思い始めた今日この頃です。

2018年6月18日月曜日

しんてん!

昨日一昨日と、恒例の古流の稽古会でした。
初日はみっちり剣術を、2日目は表と中段を。


高段の先生方もおっしゃってましたけども、段々にご指導の内容がレベルアップしてきているのは我々も少しずつ進歩しているからだろうということで、
それもこれもはるばる講師としておいでくださる冨永先生のおかげに違いありますまい。
ヨイショしようというのではないですよ。

今回はせっかく十手や鉄扇もお持ちいただきながらあまり出番がなかったので、次回までにそちらのほうももう少し稽古をやりこんでおきたいところです。


ところで、本日朝方に大阪でかなり大きな地震がありました。
杖道関係者的には地区講習を2か月後に控えた大変な時期ですが、まずは皆さんの無事を祈ります。

2018年6月11日月曜日

はじまり!

昨日は杖道昇段審査会と伝達講習会でした。

審査会では皆さん合格ということで、おめでとうございます。
審査前、受審者勢ぞろい。

見つめる審査員。


合格発表後のお話によると、学科のほうでいまいち成績の振るわない方がいらっしゃったようで、そういうところも段々と充実していくようになさるとよろしいんではないでしょうか。

いずれにしても、この合格がゴールじゃなくて、新しい道のりの出発点だということで、新たなステージの稽古に邁進していただきたいところです。


伝達講習会のほうでは、テキストを改定したばかりでもあり「特に変更点はありません」ということで、「こういう点に注意して稽古を進めましょう」というほどの内容でした。


しかし…今更気になってきたけど、何年か前に「杖と太刀を合わせた高さは胸の高さ」っていうことでだいぶ紛糾した覚えがありますが、改めて今回の伝達内容を見ると「のどの高さ」に戻ってるんですよねえ。

どっちやねん、という気がする。
おんなじことを沖縄の講習愛知の講習でも書いたけども。
ちなみにテキストでは「のどの高さ」となってますな(P.20)。

つらつらと考えてみるに、「太刀を中段に構えた時、切っ先の延長が相手の目に付くように」ということなので、
・型の最初、離れて中段に構えた時は胸の高さ
・間合いで互いに合わせた時はのどの高さ
と、こういうことなんでしょう。たぶん。きっと。おそらく。

たまに振り返って確認しないと、どうもこういうところがおろそかになって困る。

2018年6月7日木曜日

ただただ

ただ、立つ。
ただ、座る。

ただ、立っている。
ただ、座っている。

ただ、歩く。
ただ、停まる。

ただ、抜く。
ただ、収める。


ただそれだけのことが、なんて難しいんだろうなあとようやく思い始めた今日この頃です。
ヒロシです。

2018年6月5日火曜日

にほんで!

二刀流に関して、
「片手で刀を振り回せるわけない、ファンタジーだ」
って説を唱える方がときどき見かけられます。


そんなわけないですね。
デッドプールを見れば確定的に明らかなんですよね。


ということで、ただ今劇場公開中のデッドプール2、面白いのでぜひ見に行きましょう。
トラウマを負って闇堕ちしそうな少年を命がけで大人が救おうとするハートフルストーリーは必見!

ちょっと、こう、スラングとか、ゴア表現とか、そんなんありますけど…あとあんまり二刀流出てこないんですけど…。

別に私は配給会社に袖の下をもらったりはしてません。決して。欲しいけどさ。