2016年6月21日火曜日

たびだち!

探さないでください。









とかいう冗談はさておき、またちょっと10日ほど旅に出ます。
稽古も休んで更新も休んで、人生をエンジョイしてきます。
チャオ!

2016年6月19日日曜日

おつかれ!

昨日今日と2日間にわたる講習会に参加された皆さん、お疲れさまでした。

また昇段審査で合格された皆さん、おめでとうございます。


個人的にはヒジョーに残念なことながら古流の稽古は行われませんでしたが、だんだんと近づいてきた全国大会を意識した講習の中身は大変充実したものであったかと思います。

いくつかの古流の疑問点については夜の講習会で個人的に何点か教えていただいたのでヨシとします。
また半年後に向けてしこたま疑問点質問点をため込んでおきます。


あとは写真で講習会と審査会の様子をご覧ください。
ズームレンズを新調(中古)したのでその使い勝手の確認と、あとなんでも全国大会でカメラマンをせねばならんようですのでその練習もかねて。

初日の講習会から。
残心。
「いつでも斬りに行くぞ」「いつでも斬って来いよ」という備え。

「斬るぞ!」ということが伝わるような身構え・気構えで攻め込む。

力めば力むほど崩される繰り付け。
柔らかく受け止めましょう。



後光がさしてかっこいい!!
やっぱり元々が男前ですからねー。
え、褒め殺しだなんてまさかそんな
別に他意は全く何もございませんのですよ、はい。


全国大会で全力を出せますように。



2日目、審査会。
言葉では語りつくせないなにものかを見て感じ取ってください(受け売りを利用した省力化)。




ぜひ皆さんにはこの先も上を目指して精進を続けていただきたいと思います。
全国大会では文字通り全国から猛者が集まりますから、岡山の○段はこんなものかと思われないように、日々の稽古に励みましょう。



2日目、講習会。
あんまり写真撮れませんでした。チャンスがなくって。
太刀の気勢、体勢。
「杖に伝わる波動を発してください」

届く太刀ということ。
斬り付けということ。

以上。

前のレンズより望遠が効くので遠目からでもいい感じに撮れてますね。
本番ではもっとズームしてもええな、これ。

全国大会にお越しの際は髪のセットとお化粧と髭剃りを十分にね!
もちろん技の稽古も!!

2016年6月15日水曜日

ふきふき

梅雨時になり、汗をかく時期になるとてきめんに杖が滑らなくなります。

今日の稽古でも滑りの悪さをしみじみ感じたので久しぶりに杖と木刀を磨きました。


前にも書きましたけど、別段難しいことはせず、固く絞ったタオルで磨いて汚れを落とした後、乾いたタオルで乾拭きして、あとは床に転がして乾燥させるだけ。

これだけですけど、仕上がりはだいぶ滑るようになっています。
木刀の柄は滑らないほうが具合がいい面もありますけど、きれいにしておきませんとね。



あとは体のお手入れね。

稽古がすんだらしっかりクールダウンをして、きちんとご飯を食べて、たっぷり休息をとって、体を回復させましょう。


そういえばずいぶん前に大相撲の中継で、ゲストに野球だか陸上だかの選手が来ていて。
「お相撲さんは取り組みがすんだらすぐ熱いお風呂で汗を流すそうですが、スポーツ科学的にはあまりよくないですね。
まずは水風呂かなにかでしっかりクールダウンして熱を冷しまたほうが筋肉を傷めなくていいですよ。」
とかそんなコメントをされてました。

プロ野球だとピッチャーは必ず試合後すぐに氷を当ててクールダウンしながらインタビュー、というのが当たり前になってますしね。

体は一生ものですから、大事にしていきましょう。

2016年6月12日日曜日

てしごと!

杖袋の底が抜けた。


これでバイクに乗ってたらえらいことになるところでした。
とりあえずちくちく縫って応急処置。

とはいえ、またほつれてきたらおっかないので新品を調達しようと思います。
安倍首相も「個人消費を増やそう」って言ってますから、経済活性化に貢献することにしましょう。



そんでもって、庭の梅を収穫したので梅酒を漬ける作業など。
杖といっしょで、これも日本の伝統文化ですな。
まだちょっと青いかなあと思いつつ、一部は熟してきてたので落っこちる前にと思って収穫。
それでも黄色く熟した梅からはモモのようなかぐわしい香りが漂います。

ちなみに後ろの焼酎はこないだの九州旅行で鹿児島に行ったときにこのために調達したもの。
梅酒にしちゃったら味も香りも梅一色で、いいお酒を使ってもあんまり意味はないんですけどね。
単なる自己満足と地域経済への貢献ですな。

今回のレシピは
・芋焼酎 1升
・梅 1kg
・氷砂糖 600g

梅のへたを取って、水で洗って乾かして、瓶に材料をまとめて入れて、あとは1年寝かせるだけ。
まあほとんどは自分で飲まずに人にあげちゃうんですけど。

梅干しは土用干しとか紫蘇の準備とかが面倒だからしない!!


ああ、そういえばユスラウメは今年もジャムにしました。
ちびちびヨーグルトに乗せたりしながら消費します。

2016年6月10日金曜日

みせかた!

前回の酔っ払い更新の直後、なぜかアクセスが普段の倍くらいに跳ね上がりまして
アイエエエ!ナンデ!?アクセスナンデ!?
と戸惑ったわけですが、実際サイバー空間は謎めいている。



さて、しょーもないスラングはこれくらいにして、ちょっと古い話なんですけど、春先に飛鳥坐神社で夢想神伝流の奉納演武を見ていた時の事。

「居合って、何してるか全然わからんよね」
「斬り方がちょっと違うかな、くらいしか思えんよね」

という声が観客から聞こえてきましてですね。


ふと思い出したので動画を探してみましたよ。

こういう風にやられ役を置いたら、見世物としてはわかりやすくなるかもしれませんな。
奉納という意味からは遠ざかってしまいますけど。

居合の理合とか仮想敵とかいうのも、これを見れば一目瞭然!


そこへ来ると杖道はいつも2人1組ですからして、どこを撃っていくのかというのはよくわかって大変に観客に親切ですね。


余談ですが、この先生の同じような動画はyoutubeにほかにも上がっているようですので、興味のある方は検索してみてください。

2016年6月7日火曜日

あめふり

梅雨入りして雨が降ると、バイク生活の私はどうしても稽古を休みがちです。


そういうわけで、今日は日も高いうちから畳の部屋に布団を敷き述べてごろごろしながら本をよんだりしつつちびちびやったりしているわけでございます。
日ごろあんまり飲酒しないワタクシですけど、たまにはいいじゃんね、こんなのも。


いやホント、豊かさってこういうことじゃないかと思いますね。

うらやましい?

うらやましかったらあーたもさっそくニートになって真似してみたらよろしくってよ?


将来が不安だとかいってびくびくしながらため込んでても、なるようにしかならんとですよ。
だからパーッと使ってのんびり楽しく過ごしらたよかとです。ええ。


以上、酔っ払いがお送りしました。



p.s.
朝寝、朝酒、朝湯が大好きで、そーれで身上つーぶしたー、あーもっともだーもっともだー

2016年6月5日日曜日

備忘録

再来週に迫った定例の講習会のお知らせというか備忘録。


会場:芳田小学校

6月18日(土)
 9時~12時    全剣連伝達講習会
 13時~16時    古流講習会

6月19日(日)
 9時頃~      段級審査会
 10時頃~16時    全剣連杖道講習会

受付は各30分前から

講師:範士8段  冨永彰三先生

2016年6月4日土曜日

くぎょう

「苦行は悟りに至る道ではない」
ガウタマ・シッダールタ


上記の言葉は先日も書きましたけれど、痛い・苦しい・辛いことを経験すれば成長するっていうのは甘えた考えです。


そこにあるのは「これだけ辛い思いをしているのだから、それだけ成長しているはずだ」という思考。
でも、「辛い思いをすること」と「成長につながること」には何の関係もない。
にもかかわらず、安易に苦行を選ぶのはただの思考停止であり、結果を伴わない自己満足以外の何物でもない。
「自分はこんなにつらい体験をやり遂げたんだぜ!!」という中身のない我慢自慢です。


さらに罪深いのは、自分ではなく他者に対して躾だの修行だのという名目で苦痛を課すこと。

そこには
「辛い思いをするのは自分じゃないから/自分じゃないけどいいだろう」
「躾・稽古のためだから苦しい思いをさせてもいいだろう」
「自分もやった/やらされたことだからいいだろう」
「目標が達成できなかったとしてもそれは自分のせいじゃない、コイツが無能なせいだ」
「苦しめたとしても、いつか『お前のためだった』とわかってくれるだろう」
という何重もの甘えた考えが横たわっています。

挙句の果てに
「辛い思いをさせている自分だって辛いんだ!」
という身勝手な正当化が加わることもままあります。

当たり前ですけど、どれ一つとしていいわけないだろ!!


「獅子は千尋の谷に己の仔を蹴り落とす」とか言いますけどね、
空想の生物の想像上の行動を自分の行動の根拠にするんですか?
(現実のライオンはサバンナに生息しており崖も谷もない)


もちろん、人間だからつい手を上げたりひどい言葉を遣ったりすることはあるでしょう。
あるいは、上達・成長のためにどうしても苦しみを伴う道しか見つからないこともあるでしょう。
親でもコーチでも間違いを犯しうる。

だけれども、だからといって積極的に人を苦しめることが正当化されますか?


稽古であれば、
「もっと的確に伝わる言い方はどんなものか」
「もっと効果的に上達できる練習法は何か」
「もっと楽に習得できる方法はないのか」
ということを考えるのが現代の指導者に求められることだと私は思っています。

裏を返せば、
「伝わらないのは自分の伝え方が悪いのだろう」
「上達が見えないのは教え方によくない点があるのだろう」
「楽しくなさそうなのは無闇に苦しいやり方を課してしまっているのだろう」
という自らを省みる姿勢が必要だということ。

月月火水木金金の行きついた先が一面の焼け野原だったことを、我々日本人はもうちょっと真剣に考えねばならんのではありますまいか。


こんなネットの片隅でニートのおっさんが偉そうにぐだぐだ言って、それが正しいんだとか何かが変わるとかそういうことはないのではありますが、改めて私の考えをもう一度。

苦行は甘え。
苦行を他人に課すことは罪。