「切っ先を大きく振って」
「振りかぶるときに息を吸い、斬り下ろすときに息を吐く」
「振りかぶりと斬り下ろしは同じ速さで」
「重心はまっすぐ自分の中心に」
「両肩、腰、両足を一直線に」
太刀でも杖でも同じことを先生に言われるし、道場でも後輩に同じことを言っているんですけれど、
なーんでなぎなたの時はうまくできないんでしょうねえ?
答え:稽古が足りてないから。
前回、人間の怠惰な一面について書きましたが、それでふと思ったことがあります。
7段、8段、免許皆伝の先生方も、やっぱり私と同じように「稽古だるいわー」「今日はもう稽古休んで一杯吞んでだらだらしたろ」とか思ったりしないのかなあ。
それとも、「一杯吞むのも楽しいけど、稽古ってもっと楽しいじゃん。だから稽古行ってそのあと一杯だね」とかなのかな。
あるいは、「稽古ってもう生活の一部だから楽しいとかだるいとかないよね。ご飯食べたりお風呂入ったりがだるいとか思わないのと一緒だよ」とかなのかな。
そうでないと高いところまでたどり着かないような気もします。
ちなみに私はお布団でぬくぬくゴロゴロするのがなにより大好きで(以下略)
「今日だりいなあ…稽古休みてえなあ…」
と思いながら、それでもちゃんと稽古場に行って、ちゃんと稽古をしました。
私、偉くない?
もう1回言いますけど、
私、偉いよね??
そんなことを稽古後にぼやいたら、みんな「正直、僕もだるいなと思うことありますよ。『今日も寒いのに稽古かあ…』とか思いますもん。」てなお返事で、みんな一緒なんですねえ。
つまり、こんな寒いのに稽古に来るなんて、
ウチの道場のみんな、エライ!!
とはいえ、残念なことにウチの新人さんたちは今日もお休みなんですけれど、正直それでもいいと思うんですよ。
稽古に来て体をいじめるようじゃなんにもならないと言いますか、「稽古は義務じゃない」ってことなんですね。行きたい時だけ稽古に行く、それもありなんじゃないかな。
もちろん上手になろうと思えば暑かろうが寒かろうが稽古を欠かさないことが大事ですけれど、そもそも歴代の侍がみんな真面目に稽古する達人ばっかりだったわけじゃありませんからね。
暑さ寒さが厳しい時はお休みして、気候が良い時だけ稽古にやってくる、そういう稽古者がいても面白いかもしれません。
暖かくなったらぜひまた来てね。
正直言いますと、
好きな時に寝て、好きな時に起きて、好きな時に食べて、好きな時に稽古して、好きな時に旅に出て、
そんな生活がしてえなあ~。
そんな生活してただろって?
もう一遍やってみてえ~~~~!!!
ちょっと久しぶりに基本打の相対動作をやりました。
普段あまりやらない相対動作ですけれど、単独動作と比べると少々動きが違う業があります。
分かりやすいのは引落打と体外打ですね。
引落打は、単独動作だと目の高さを打つのに対して、相対動作だと太刀を張ってから目を攻める。
体外打は、単独動作だとその場で目の高さを打つのに対して、相対動作だと太刀を張りながら大きく下がって目の高さに付ける。
さて、ほかに何が違うか。ちょっと考えて見てください。毎回常の構えに毎回戻るとかはなしね。
答え。
案外気づいてない人も多いんじゃないかと思いますが、繰付もちょこっとだけ違います。
単独動作では繰り付ける際に杖の方向、体の方向に1歩進むとなっていますが、相対動作では「打の方向」に向けて1歩進むとなっています。同じようで同じでない、少し違う方向なんですね。
あと、やらしいのが逆手打。
打突は単独動作と変わらないんですけれど、1回目は一足一刀の間合いで打つのに対し、2回目以降は一足一刀より少し短い間合いで打つ必要があります。
理由はお判りでしょうか。杖を受ける際に太刀をやや立てて受けるから間合いが短くなるせいです。
「6段7段は指導者になる立場なんだから、そういうこともちゃんと説明できるように」と杖道委員の先生も仰るんですけれど、全部把握しようと思ったら大変ですよ、本当。
土曜日曜と、鳥取にお出かけして稽古してきました。
この2日は制定杖道だけを延々とやりました。これだけだけ制定をやったのはめっちゃ久しぶりな気がします。
いつも鳥取では2人だけでの稽古なんですけれど、今回は3月に6段審査を受ける人も一緒に3人での稽古。
ある程度地力が近い少数での稽古をじっくりやるというのは、なんか密度の高い稽古ができるような気がします。
もちろん先生について稽古するのも、後輩相手に稽古するのも、むろん有用な稽古なんですけれど。
さて、2日目になるとなんか腕がちょっと筋肉痛で、いかにも杖を腕力(かいなぢから)で振ってるんだなあと痛感します。
なぎなたの先生も「長いものほど体軸で振るんですよ」と仰っているんですけれど、始めて2年にもならないなぎなたどころか、20年もやってる杖でさえろくに出来ていないのかと反省することが沢山あります。
…とそれっぽいことを書いてきて、今気づいたことがあるんですよ。
この筋肉痛、泊り(と稽古)の荷物を抱えて長距離を移動したせいじゃないの??
もちろん「体軸で得物を遣う」ってことはずっと稽古しなきゃいけないんですけれど。
最近、仕事が忙しいのかはたまた寒さに負けちゃってるのか、新人さんが稽古に見えません。
そういう時は、前からいる人たちと古流や併伝の稽古をします。
で、今は鎖鎌を一生懸命やっているわけですね。
知らない人も多いとは思うんですけれど、鎖鎌には「両手に持った鎖で刀を巻き取る」っていう型があります。「巻落」っていう、そのまんまな名前なんですが。
巻き取るのってやってみると割と難しいんですけれど、後輩の1人が妙に上手い。
鎖の巻き取り方さえ四苦八苦していたのに、なぜか上手い。
打太刀も「今の、うまいッスね…」って言うくらい、やたら上手い。
本人は「何も考えてないんですけど」って言うんだけど、不思議に上手い。
もうこれだけは私より上手いんじゃないかな。
「これだけは上手」って、あるものなんですねえ。
今後私と稽古したせいで下手になったと言われないように気を付けないと…。
世間では「年賀状を卒業します」という方も大変多いようですね。
「SDGsのために」とかよくわからん理由を掲げてたりすることもあるようですが、いくら建前とはいえそんな「地球のために」なんて仰々しいにもほどがあるでしょ。
さて、そんな世の中の動きに反するように、私に届く年賀状の枚数はあまり減っていないようです。元から大して来てないとか、もちろんそれもあるんですけれど。
わざわざ手書きの方もいらっしゃって、自分の悪筆を思うと皆さん達筆だなと思います。
字というのは普段からそれなりに書いているのに全然上手にならないのは何なんでしょうね。
昔NHKで書道の達人が語ったところによると、
「字には『美しさの法律』がある。それを身に付けることが第一で、美しさの法律を身に付けていないものは個性ではなくただの癖字」
なのだそうで。
これを杖に適用すると、やはり良い師について良い型を教えてもらい、つまり良い指導を受けることが大事で、ただ振っていても上手にならない、ということなんでしょうか。
そして、私もただ文字を書いてるだけでは上手な字になることはないと…。
まあそりゃそうだ。