いつまでも悲しみに暮れるわけにもいかず、稽古を再開したいところですが、公の施設が使えないという状況が壁になってなかなかはかどらないのが辛いところ。
素振りくらいならなんとかできなくはないんですけれど、困るのが気合ですね。
なかなか気合を出せる場所というのはないもので、道場が使えないとどうしても声というか喉が鈍りがちです。
「自粛の要請」とは言っても、武道館や体育館の使用を停止されては実質的に強制禁止にほかならず、こういう時は自前の道場を持ってらっしゃる先生は強いなあと羨ましい限りです。
いつまでも悲しみに暮れるわけにもいかず、稽古を再開したいところですが、公の施設が使えないという状況が壁になってなかなかはかどらないのが辛いところ。
素振りくらいならなんとかできなくはないんですけれど、困るのが気合ですね。
なかなか気合を出せる場所というのはないもので、道場が使えないとどうしても声というか喉が鈍りがちです。
「自粛の要請」とは言っても、武道館や体育館の使用を停止されては実質的に強制禁止にほかならず、こういう時は自前の道場を持ってらっしゃる先生は強いなあと羨ましい限りです。
今日は立て続けに先生方の訃報が飛び込んできて、なんとも物悲しい気持ちでいっぱいです。
どちらもいつ何があってもおかしくない平均を超えるお年でしたから「いつかは来る」と分かっていたはずなのに、やっぱりその日が来ると堪えます。
自惚れるわけではないけれど、やはり前回前々回の審査で6段を取って先生に「やりましたよ、先生のおかげです」と言いたかった気持ちはどうしても拭えません。
今はただ祈るばかり。
「大会をはじめとしたイベントを開催できない状況が続いていて、全剣連もお金がヤバイ」
という話をちらっと耳にしました。
そんな中で、全剣連公式ツイッターでこんな話が。
「ぶしし」ぬいぐるみ限定再発売のお知らせ。剣道普及キャラクター「ぶしし」のぬいぐるみを追加生産いたしました。明日の5月12日正午に50個限定で再発売いたします。剣道普及キャラクター「ぶしし」をよろしくお願いいたします!|https://t.co/iOByGeidy5 #kendo #剣道 #bushishi #ぶしし pic.twitter.com/9v0UvHXfHL
— 全日本剣道連盟 (@ajkendof) May 11, 2021
本日(5月12日)正午より、全剣連オンラインショップで販売を開始した「ぶしし」ぬいぐるみは完売いたしました。お買い求めいただきありがとうございました。次回、再販の目途が立ちましたらお知らせいたします。 #ぶしし #bushishi #剣道 #kendo
— 全日本剣道連盟 (@ajkendof) May 12, 2021
江戸の昔から武士が色んな内職や副業で糊口をしのいでいたという話は尽きませんが、令和になっても同じことが起きているようです。
1日で再販分が完売しちゃうくらい人気なんですから、もっと生産してもっと売り上げて、組織の維持の足しにしようじゃありませんか。
ところでこのぶしし、杖道バージョンとか居合道バージョンはないの…?
蔓延防止措置とやらで、14日以降の公の施設の使用が停止されました。
従って、学校の体育館を使っての稽古も、公立の武道館を使っての稽古もできなくなります。
期間は今月いっぱいとのことで、来月以降はまたおって判断されるそうです。
うーん、こんなことで夏の審査は大丈夫なんだろうか。
先日の稽古の終わりの雑談中のことでした。
A氏「Bさん、あんまり道場に通えてないのによく型を覚えてますよね」
B氏「仕事が忙しくてなかなか道場に来られないんですけど、せっかく教えてもらったんで忘れないように家でちょこちょこ練習してるんです」
A氏「えー、すごいですねえ。僕なんか道場に通わなかったらすぐ忘れちゃいますよ。だから必死に道場に通ってます」
先輩として申し上げますと、どっちも凄く立派だと思います。
どっちにしても普段からコツコツ継続して稽古する努力を怠ってないわけですからね。
先輩としては嬉しくもあり、下から突き上げられてるプレッシャーもあり、うかうかできんなと思うばかりです。
一緒に稽古する仲間の中に拳法を長く修めている方がいらっしゃいます。
なかなか太刀の握りに苦労されているようで、曰く
「拳法では拳は当てた瞬間に握りこむ。その癖で太刀で斬りつけた際につい拳を作るように握りこんでしまって、なかなか手の内が決まらない」
だそうです。
なるほど。
太刀の斬り付けでも普段柔らかく握っておいてヒットの瞬間に手の内を締める点では変わらないと思いますけれど、確かに正拳や裏拳の形と太刀を持つ手はちょっと形が違いますからね。拳の形で柄を握るといい握りにならないですよね。
過去の経験が却ってあだになるというのは辛いところではあるでしょうが、そこを乗り越えたところにきっと私では知り得ないような喜びがあると信じて稽古に精進してほしいなと思います。
先日の稽古で、同じ人が同じような失敗を3度繰り返していました。
それを見てふと論語の一節を思い出しました。
子曰、人之過也、各於其黨、觀過斯知仁矣、
子曰わく、人の過つや、各(おのおの)其の党(たぐい)に於いてす。過ちを観て斯(ここ)に仁を知る。
人間はそれぞれのタイプ別の失敗をする。だから失敗を見ればその人がどんなタイプかがわかる。
おおよそそんな意味でしょうか。
杖道という道は一つでも、そこを歩く人はさまざまでそれぞれに応じた指導や稽古が必要だし、何をどの順に伝えるか、あるいは伝えないかが指導する立場に立った時に重要なのかな、と思ったのでした。
さて、私はどんなタイプなんでしょうね?