2018年7月31日火曜日

けっせき

7月も今日でおしまい、段々と夏も深まって秋の訪れもそのうちかなと思われる、というか思いたい時期になってきました。

さて、これから杖道界隈では大阪で審査会&地区講習があり、9月になれば合宿があったり各地方での講習会や大会があったり、その先にさらに全日本大会があったりして忙しくなってきますね。


去年はあれもこれも出席してたらずいぶん忙しい感じになってしまって、なおかつとある先生から「どこに行ってもあなたの顔を見るね」なんてお言葉を頂戴する有様でした。

というわけで今年は全日本大会は欠席することに決めておりまして、ずっと誘いも断っておりました。

最近になってぜひ行こうとまたお誘いがあって、見込んでいただけるのはありがたいと思いつつも、今受けちゃったらこれまで断った人に申し訳が立ちませんしねえ。
まして今から大会合わせの練習をと言っても、この暑さではなかなか満足に稽古もできませんし、付け焼刃で恥をさらすのもちょっとみっともないし。

ひょっとしたら中には「お前の顔を見ないことには気が済まん」なんて方もいらっしゃるかもしれませんが、地区講習会だけでご勘弁を。

2018年7月22日日曜日

きたぐに! 思い出編

ようやく旅の疲れもほぐれてちょっと落ち着いたところ。

正味の話、全く天気が優れなくて観光という点ではさっぱりだったので、おもに食べ物で思い出を語りましょうかね。
積丹半島、神威岬。
晴れてればブルーに染まる海が美しいと評判ですが、
どこに行ってもこんな天気でした。残念。

函館の夜景もこんな感じ。
これはこれで味があるけど、
1時間前まで霧がべったりで夜景も何もなかった。

でも霧の下はこんなかんじ。

ということで、天気がいかなるものであったかはお分かりいただけましたかね。
東の果て、根室のほうへ行ったときなんかは最高気温が13度とか14度とかで凍えてましたよね。


北海道と言えばセコマ。
セコマのソフトクリームはうまい。

道端の農家でもソフトクリームを売ってる。
搾りたての牛乳だからかうまい。
ゆでとうきびだったりメロンだったり、
地域ごとに農家が売ってるものが違って面白い。

上の農家の猫。
きゃわゆい。

北海道と言えばジンギスカン。
お肉1人前400円弱という驚きのお値段のお店にて。
まあ結局3人前くらい食べるんですけど。

北海道と言えばサックラ。ナポリン。
私はお酒はあまり飲まないけれど、ビールはサッポロ派ですね。

海鮮ちゃんぽん。
イカやエビやホタテがごろっと入ってるのはすごいけど、
正直なところ北海道グルメは素材の良さに甘えてる気がする。

札幌にて、スープカレー。
おしゃれ&おいしい。

六花亭でサクサクパイ。
北海道にいたら糖質制限なんてクソクラエって感じですね。

ぶーたーどーんー!!
牛でも豚でもうまいものはうまい。


ちょっとくらいは武道的なネタも。
舞台は登別伊達江戸村から。
忍者ショーや小芝居も豊富でたのしい。


コメディタッチながらアクションも結構力が入ってて
なかなか見ごたえがありましてよ。

十手の解説。
「かんしゅ」というのが大本だとするならば
貫手->實手->十手
という変化なんでしょうか?
知らんけど。


しかし、北海道にいる間は寒い寒いと言っていながら、帰ってきた途端に35度超えだとまた北海道に避暑に行きたくなりますな。
早く暑さがいくらかでも和らいでほしいところです。
稽古もろくにできやしないんだもの。

2018年7月18日水曜日

きたぐに!

ご無沙汰です。

大雨やらいろいろありましたが、実はずっと北海道をふらふらしておりまして、ようやく帰宅したところです。

そういうわけで雨に流されたりとか土砂にうずもれるとかそういうことは幸いにして(と言っていいものか)ありませんで、元気いっぱい遊び倒しておりました。

テレビをつければ気分の重たくなる話題が多いのですけれども、せめてこのblogはハッピーな感じで明るく行きたいと思います。

とりあえず片付けもまだなのでほかのことはおいおいということで。

2018年7月1日日曜日

たいかん!

本日の講習会、お疲れさまでした。
タイトルは体幹を体感する的なかんじで。

素振りがお嫌いな人は顔を見かけなかったようでしたが、今回の講習では振り込んだ本数は知れたものでしたね。
ひたすら見つめることと、ひたすらまっすぐ立つことはそこそこやりましたけど、それだって日程の半分にも満たないくらい。

型の細かい部分がああだこうだはいわば枝葉の部分であって、型であって型でない、体幹や体勢だとか仕打の呼吸や相通じる目付だとか体内に充満し横溢する気合だとか、そういう部分が本当の武道的な部分であると、黒郷先生がおっしゃったのはたぶんそういう感じです。




うーむ、やっぱり腹立つくらい
しっかりがっしり肚(ハラ)が座ってますね。


黒郷先生は「まず太刀がしっかりしないと杖の稽古にならない」ということもあってか「太刀の素振りをしっかりやりなさい」とおっしゃいますが、太刀の素振りに飽きたら同じように体幹・体勢に気を付けつつ杖の基本打ちをすれば大体おなじことだと思われます。
やっぱり、太刀の振り、基本打ちが大事ってことですね。

正直言って、素振りとか基本打ちって楽しくないです。
型やってるほうが楽しい。
でも、この楽しくないことを乗り越えて、型の中でより良い太刀打ち、杖の打ちが繰り出せるようになることは楽しい。
また、楽しくないことだからこそなんとか楽しみを見出さないと続かない。

楽しいことだけやって上手になろうなんて、そんなのポテチとコーラとハンバーガーだけの食事で健康なイケメン美女になりたいっていうのと一緒ですよ。
ピーマンが嫌いでもなんとか食べられるようにする調理法を考えましょう、ってなんか話がずれてきましたけど、言いたいことが伝わりましたかね。




ところで先日のサッカーの記事、サムライだのなんだの騒いでるのは主にメディアやそれを見てる一般人なわけでしょ。
実際にボールを蹴るわけでもない人たちが外野でやれだのやるなだの騒ぐのもずいぶん無責任な話だなという気がしてきました。

2018年6月30日土曜日

サムライ

私はオフサイドさえろくに理解してないサッカー音痴なので、世界が熱狂しているワールドカップもまるで興味がありません。
したがって試合も全然みてないんですけども、ポーランド戦で日本が非常に消極的なプレーをして世界中からブーイングを食らっているそうですね。


ごく個人的な意見を書くと、
・サムライJAPANを名乗って滅私奉公とか高楊枝とか武士道とか高潔なイメージを押し出していた
・「僕たちのプレーで夢と希望を与えたい」「見ている人が感動するようなプレーをしたい」などと言っていた
にも拘わらず、いざ正念場に置かれると勝負せずに遅延戦術で生き残りを図るって、そりゃあ「言ってることとやってることが違うじゃないの」って話にはなるよね、と思います。

そもそもサムライはそんなにきれいなものじゃない、という現実的な意見もあるようですけど、イメージ戦略としてはきれいな部分だけ使っておきながら、後出しで「サムライはもともと卑怯で結構メリケン粉な存在だ」なんて言ったら、そりゃ応援したくなくなってもしょうがないでしょ。


最初っから
「我々は出場チームの中では弱小なので戦術を選んでいる余裕はない」
「ルールの範囲でならどんな汚い戦い方でもする」
「美しく散るより汚く勝ち残ることを最大の目標とする」
「視聴者の感動よりも勝利こそ尊い」
「我々は海賊のように勝ちを取りに行く」
って言ってたなら今ほど悪く言われることもないと思うんですよね。

ま、それを言っちゃうと相手チームも日本チームをダーティな方法で潰しに来ることを正当化しちゃうので必ずしもいい方法ではないけども。
ダーティな方法を容認しちゃうと、せっかく種々のルールでスポーツとして確立させたものがまた乱闘上等の野蛮な集会に逆戻りしちゃうし。


ちなみに、鎌倉武士のなかなかに鬼畜な一面が描かれているのが「男衾三郎絵詞」だそうです。

>特に第2段は鎌倉時代の武士の様子を生き生きと描き、よく図版として使われる。一方で、馬小屋の隅に生首を絶やすな、首を切って懸けろ、屋敷の門外を通る修行者がいたら蟇目鏑矢で追い立て追物者にしてしまえ、といった非人道的な描写があり、これに鎌倉武士の残虐性を指摘する意見もある。


他方で、江戸時代もいくらかすすむと武士もだいぶたるんできたようで、「鸚鵡籠中記」という尾張藩の畳奉行の日記には、公用で京大坂の商人のもとに出向いて先方の費用持ちで遊郭に入りびたったりする様子が描かれているんだそうです。

どっちみちアカンな。

2018年6月26日火曜日

かまえる

先日の講習会で、私が冨永先生に切り込んだものの太刀が届いてなかった、という場面がありました。

あれ、太刀を大八相に構えた時には
「あ、遠いな」
「深く踏み込まないといけないな」
って、ちゃんと気づいていたんですよ。

1歩踏み込んだ時にも
「まだ遠いな」
「次の足でもっと出ないと届かないな」
って、ちらっと思ったんですよ。

でも、実際切り付けたら届いてなかった。届かなかった。

あの時のことを思い起こすことしばし、たぶんあれ、
構えに負けて踏み込めなかったんだな
圧倒されて気合が足りなかったんだな
って気がしてます。

意識のそのもう一つ下の部分で、「この構えには飛び込んでいけない」っていう恐怖があってそれを乗り越えられなかったんじゃないかと思うんですよ。
本当にきちんと構えるとこうも攻めがたいものかと、なんとなーく思われるんです。

構えに負けて踏み込み損ねるなんて稽古が足らんというべきか、
少なくとも構えに恐れを抱けるくらいには遣えるようになってきたというべきか。

構えをおろそかにしてきたつもりはないけれど、構えの稽古をもうちょっと詰めてしてみようかな。

2018年6月25日月曜日

みじゅく

書こうかなと思うことはいくつかあるけども、なんとなくまとまらないので書けないでいる、といううちに日数ばかり過ぎますね。

未熟ということについて。

自分のワザマエが未熟だと認めるのはなかなか難しいものです。
ついね、後輩なんかと比べて自分はできてるつもりになる。

そしてもう一つ。
他人の技をみてああだこうだとつい言ってしまうのは、他者の未熟さや失敗、過ちについて寛容になれない心の弱さであり、言わなくてもいいことを言わずにいられないという我慢の出来ない心の弱さじゃないかな、と思い始めた今日この頃です。