2020年5月9日土曜日

わからぬ

知っているからわからないことがある。
知らないからわかることがある。

そういうお話を紹介しましょう。

昔々あるところに評判の高い僧侶がいた。
近在の猟師がこの僧侶を訪問したところ、「よいところへ来た、この寺には先日より毎晩仏様が現れなさる。そなたもぜひ拝んでいかれるとよい」と言う。
その晩、猟師と僧とが共に夜更けまで本堂で過ごしていると果たして仏の姿が現れ、住職がありがたやと拝んでいたところ、なんと猟師が仏に向かって弓を射かけた。
闇をつんざくような絶叫が響いたかと思うと仏は消え、住職は慌てふためいて猟師を責めるが猟師は「本物の仏様ならば弓矢など通じるはずもない、あれは仏ではない何者かである」といって取り合わない。
夜が明けると庭に点々と血の跡があり、それを追ったところ年経た大狸の死骸が転がっていた。
「修行を積んだ徳の高いお坊さんならば仏様を見ることもあるだろう、しかし自分のように殺生を生業にするものにも見えるなどとはおかしなことだ。だから狐狸妖怪の類に違いないと思い矢を射かけたのである。この化け狸はきっとあなたを騙して取り殺そうとしていたのだろう」と猟師は言った。
この僧侶は「たいそうな坊さんだと思ってたら狸にも化かされた」と大いに評判を落としてしまったという。

宇治拾遺物語に見える話だそうです。

さて、この話をどう読み解くかはなかなかに難しいところです。

一生懸命勉強して物が分かったつもりになっていると足元をすくわれるとみるか。
目に一丁字もないものでも真理を知ることがあるとみるか。

狐狸妖怪にたぶらかされ取って食われようとも神仏を疑わざるをあっぱれとみるか。
疑いのまなざしをもって一命を救うも浄土へ至らざるをよしとするか。

僧は仏を信じていたから仏の導きで猟師が遣わされ命を長らえたとみるか。
猟師は仏を信じていなかったから弓を射かけて僧を救うことができたとみるか。

さて、私たちは杖道を学ぶときどんな心構えで臨んだらよいのでしょう。
そう考えるとなかなかに面白いのではないでしょうか。

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