2025年3月31日月曜日

なくした

 「彼のよかったところがすっかりなくなっちゃって、どうしたんだろう」

そんな話が人づてに私の耳まで届いてしまって、その「彼」であるところの私はちょっとしょげています。


私の杖・太刀のいいところって、私自身にはわからないんですよ。

自覚がないからそれが無くなったとか言われても全然わからないし、一体どうしたものやら。


有難いことに「それがあなたのいいところ」と言うお話は何人かからいくつか頂きましたけれど、消えてなくなったのがそれなのかどうかもわからない。なにもかもわからない。


ただ、言われて思えば最近ちょっと理屈に寄りすぎているのかなとか、そんな気もします。

「考えながら杖を振ってる」という状態なのかなと。


しばらくの間、正しいとか間違ってるとか、先生がああい言ったとかこう言ったとか、そういったことは脇に置いて、ただただ振りたいように杖を振ってみましょうか。

「下手の考え休むに似たり」ってやつで、あれこれ考えるより杖を振るしかないんですね、きっと。

2025年3月28日金曜日

ふっかつ

 冬の間、1人とか2人とかいう寂しい稽古もありましたけれど、今日の稽古はなんと5人ですよ!

素晴らしい!!

1人だからこそできる稽古もありますけれど、やっぱり稽古は人がいたほうがありがたい。いつまでも冬休みじゃ私がさみしい。


初心者の人が多かったんですけれど、初心者の頃は何をやっても「新しいことを覚える」というとても楽しい時期ですからね、私もあの頃は今とは違う楽しさがあったし、皆さんにもしっかり楽しんで稽古していただきたい。

暑くなるまでのほんの1,2ヶ月が稽古のやりどきですからね、仕事や体に無理のない範囲で積極的に稽古に参加してもらいたいですね。

2025年3月23日日曜日

にんてい

 昨日は審査員認定講習会がありました。

私も錬士6段を頂きまして、昇段審査の審査員を任されるかもしれない、そういう時期に到達してしまいました。

講習会の中で、全剣連の「称号・段級位審査規則」を開いてみまして、その中の一文。


錬士とは、剣理に練達し、識見優良なる者

剣理に練達し、識見優良なる者

剣理に練達し、識見優良なる者


私は剣理に練達しているのか?

私は識見優良か?

私は本当に錬士として相応しいのか?

私には何も分からない…。


とはいいながら、あんまり自信なさげにしてても「そんな人に段位を認定されてもなあ」と言われてもいけませんからね。

そう、私もちゃんと全剣連が認めた錬士ですから!

講師の先生も「審査員も結局は稽古です」「全国審査も審査の稽古になりますからね」と仰いましたし、私が認めた段位なら間違いあるまいと思われるように精進します。

2025年3月22日土曜日

おしらべ

 先日、調べものを頼まれて、武道館から貴重な本を拝借してきました。


いわゆる「武専」の学校史ですね。

昔の先生のお話を調べようと思ったらこういう本を探してみないと分からないことも色々あります。
まあ結局調べものの答えは見つからなかったんですけれど。

軽くめくりながら時代を感じる写真を眺めてみたり同窓生(歴代在校生)の一覧のなかに知ってる方のお名前を探してみたり、それなりに面白いものです。

で、ふと目に留まった写真。

「ポツダム・サンスーシー宮殿にて」

「剣道の某先生は武専時代に文化交流でドイツに渡って、ヒトラーに面会し、『サムライなら人を斬って見せてくれ』と言われて、実際に人を斬ったんだそうな」

以前とある先生が教えてくれたお話です。その先生は「斬ったのが死者か生者かは聞いてないけどな」とも言われてました。

人を斬ったかどうかは今の私には分かりませんけれど、少なくともドイツに渡ったということは間違いないんだなと思いました。

物騒なお話でもあるしこういうお話をネットに乗せるのもどうなんだろうという気持ちもあるんですけれど、そういう話もどこかで書いておかないとそういうことがあったということも分からなくなってしまうし、それも良くないのではないかと思ってキーボードをたたいているわけですね。


物知りな方ならドイツには今でも「メンズーア(Mensur)」という決闘制度が残っていることをご存知かもしれません。

いわゆる仇討ち的なものではなく、どちらかと言えば「男を示す」タイプの、厳密にルールが定められた(いかにもドイツらしい)決闘制度で、メンズーアの傷痕はあえて残すように治療され、この傷痕がある人はドイツでは「男の中の男だ」と社会的な信用を得られるんだそうです。


だからひょっとしたらドイツに渡った先生も「ドイツにもメンズーアというものがあるからやってみたまえ」くらいの話なのかな、とも思うんですけれど、困ったことにメンズーアは「ナチ政権下では禁止されていた」という事実があって、はてどうだったのやら。

今となっては確かめようもない話ですが、古い資料を見ながら感じたことなど書き記してみました。


ちなみにMensurに関する話はこちらの本で読めます。

2025年3月21日金曜日

ひさびさ

 今日はおよそ3週間ぶりの杖のお稽古。

なーんか、体が重たいような、思ったように動いてくれないような、そんな感じ。

私だけかと思っていたら後輩の皆さんもやっぱり同じだったようで、「ひと月も経ってないのに体が鈍ってますね」ですって。

そういうわけで今日は基本打と太刀の素振りと制定型を一通りゆっくりやっておしまいにしました。


たったそれだけでもまあまあくたびれましたけれど、稽古が終わってみると楽しかったなと感じました。
やっぱり杖が好きってことなんですね。ハイ。

2025年3月15日土曜日

ひまじん

 稽古場が使えないので、杖の稽古ももう2週間ほどお休みです。

稽古しないと、やっぱりなにか調子が上がらないような、そんな気がします。ゴロゴロするのが一番性に合うはずなんですけれど。

あとは多分、「下手になるのが怖い」って言うのがあるのかもしれません。


下手になるって、どんな感じなんでしょう?


分からないからこそ怖い、ということなんでしょうか。それを分かって乗り越える日が、いつか来るのかな。

2025年3月12日水曜日

おしごと

 年度末が近づいてくると、お給料をもらえるお仕事のほかにも、色んなお仕事が忙しくなってきます。

町内会のお仕事もそうだし、そして何より杖道のお仕事ですね。

段位が上がるとどうしても色んなお仕事が付いてきます。

ついに私も昇段審査の審査員をやることになるかもしれないのでそのための講習会があったり、理事会があったり、あれやこれや。

できれば号令係をずっと続けていたかったのになあ…。できるだけ最近7段に上がった皆さんに頑張って頂いて、私の出番は遅くなりますように。


そうはいっても、これまで上の先生方がそういうお仕事を一手に引き受けていらしたわけで、これからは我々の世代がそれを引き継いでいかないといけないのも確かな話。
まだまだ元気でいて頂きたいけれど、世代交代の時期っていうのは必ず来るものだと思って引き受けていかないといけないのかな。

よくもまあこんなお仕事を30年も続けてこられたもんだ、というとちょっと失礼かしらん。